声がれ 急性喉頭炎

  • 2015.08.24 Monday
  • 22:45
60代女性



膝の治療で通院している患者さんが、ある日風邪引いたら急に声が出なくなった。と言って来院されました。2日ばかりささやくような声で仕事をしていたそうです。

治療室が乾燥しているので、紙マスクをあげて、膝の治療のついでに頚のコリもほぐしておきました。喉の血流が改善されて、声帯の修復が早く進むことを期待しての鍼です。

「しばらくマスクをして、構えずに普通に話すようにしてごらん」とアドバイスをしておきました。

嗄声を起こしている声帯は赤く腫れたり、乾燥したりしていて、声を出すときにきれいに振動してくれなくなっています。 そうした声帯を治すのに、耳鼻科ではもとの病気の原因に応じた治療の他に声がれに対して消炎剤やネブライザー、ステロイド剤なども使われます。 声の出し方に問題がある場合は音声訓練なども行われます。 大概は1週間ぐらいの間に自然に治るとされています。

さて、この方は鍼治療が終わって帰宅して、お客さんと話をしていたら、急に声が出たそうです。治療から2時間後のことでした。鍼治療の効果の即効性にはこちらも驚きました。

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扁桃摘出日記10

  • 2010.03.21 Sunday
  • 00:59
気がつくと3時半に座薬を入れたきりで、とうとう3食食べきった。あとはどこまで眠れるかだ。この日は少し遅く寝てみるつもりでいた。と言っても勝手はできないので、9時半頃床についた。

夜は何度か目が覚めた。痛みは来そうで来なかった。なんだかんだで4時半までもつれ込んだ。1〜2時間事に目を覚まして痛みを確認しながら過ごしたようなもんだった。そのうちに右の上の傷がズキズキと痛み出した。右下にして寝てみたが痛みは一向に治らない。ここまでかと思ったが、何で痛いのか?と考えるに至って、多少の充血とのどちんこの位置かもしれないと思い、反対向きに寝てみた。と、痛みは間も無く治った。なーんだ。そんなもんか。これだから夜中の痛みって何倍にも膨らんで判断を誤らせるよな。

しかしここで別の迷いが出てきた。夜中の痛みは座薬なしで何とかなることが分かったけど、寝不足のまま退院を迎えて、今日一日のストレスはクリアできるのかと言う思いだった。さらに、水を飲んだらアタックが来た。アッチャー。いろいろな迷いが湧いてきたが何とか痛みを治め、座薬は入れずに頭を枕に付けた。

次ぎに目が覚めたのは6時半だった。ここまで来てようやくI先生がおっしゃってた、本当の痛みと、恐怖心から来る痛みが理解できた。後者は痛みがいつ襲ってくるか分からない恐怖に耐えるストレスだった。たとえて言うなら、防空壕に身を潜めて真っ暗な中で近づいて来る爆音を聞きながら息を凝らしているときのストレスだったり、転覆した舟の中にかろうじて出来た隙間に身を置いて、真っ暗な中いつ助けが来るか来ないかも分からぬままじっと何日も待ち続けるストレスのうんと軽い奴と言えるだろう。

こういうストレスはちょっとした痛みだけでも容易にパニック発作を起こす。夜中や食事の傷みは耐えられないこともないのだが、あえて座薬を使って対処しようとするのは、パニック発作を起こしたくない心理が働いているからだろう。

また厄介なことに、座薬を使っても、身体の反応はその時々で異なるので、自分が期待していたのとは違う事態が起きるとまた次のパニックを起こしてしまう。例えば痛み止めを使ったにもかかわらず、効いてる時間が短かったり、薬が切れた後の痛みが意外と強かったり、胃が痛くなり出したすると、頼みの綱が効かない不安で気持ちが迷走し始める。どうしたらこの痛みから解放されるのか?なんでこんなことになるのか?と様々なま事が頭を駆け巡る。

宇宙飛行士の適性試験のことを思い出した。もっとも重要な適正は、パニックを起こさないで冷静に判断できる能力だそうだ。穏やかで楽天的で、自分を励ますことが出来て、落ち着いていることそして他人と協調していけること。私にはかなり欠落している能力だろう。

今回図らずもそうした自分の弱点を詳細に分析しながら鍛えてもらう経験が出来た。I先生のナビゲートが適切だったお陰で、あまり道草を食わずに必要な事を学べた。思い切って挑戦した一手だったが、得たものは多かったし大きかった。大成功だと思う。

留守を守ってくれた家内。それを支えてくれた子供達。素晴らしい雰囲気を作り続けてくれた看護師さん始めコメディカルの皆さん。そしてI先生。ありがとう。元気になって必ずこの経験を仕事に反映させます。

扁桃摘出日記 9

  • 2010.03.11 Thursday
  • 21:33
11月26日 術後7日目

その晩は12時ちょっと過ぎに喉の焼けるような痛みで目が覚めた。これがI先生のおっしゃる9割が自分で作っている痛みなのだろうか?寝ていたのだから自分の意識なんか関係していないだろうと思いながらも、耐えられなくなったら座薬を使うことにしてイメージで痛みが消えるのか試してみることにした。

さっきナースステーションまで歩いたときに少し痛みが紛れるような気がしたので、丸めた布団にうずくまりながら、三社祭で御輿を担いでいる光景を想像してみた。御輿に群がる男達を蹴散らしながらようやく御輿の担ぎ棒にたどり着き、「せや、せや」とかけ声をかけて御輿を担ぐ。男の粋の一番の見せ場だ。そんなところでこの痛みが襲ってきたら自分はどうするだろう?痛みでその場にうずくまるだろうか?いや、絶対そんなことはしない。痛みが何だ!俺は男だ!そう粋がって御輿を担いでみせるだろう。観衆の喝采が聞こえたら、調子に乗って痛みなど何でもないことのように振舞っているだろう。ずっしりと御輿の重みが肩に食い込むのを感じながら、喉の痛みも肩の痛みもどうでも良くなるに違いない。と想像していたら、、、、ん?痛み減ってきたぞ。よし、もっと担げ!「せや、せや、せや、せや」とうとう痛みは治ってしまった。

ありゃーホントに座薬なしであの痛みが治まっちゃった。成る程9割が自分で作った痛みなのか。これでもう一眠りしてみよう。。。。。。

今度は3時に同じような痛みで目が覚めた。2時間ちょっとは持ったって事か。さて、今度はまた違ったことを想像してみた。さっき程ではないものの、やはり痛みはおさまってきた。けっこうな痛みがあっても、イメージ次第で痛みがコントロールできることが分かったとので、今夜の実験はこのぐらいにして座薬を入れた。程なく痛みは治り眠りに落ちた。



目が覚めたのは5時半頃だった。6時半まで横になっていてから起き出して、パソコンに向かった。少し寝不足なので頭がスッキリしないが、退院の目処は自分なりに立ったので、I先生に退院をお願いする腹は決まった。

夕べの下剤の効果が現れて通じがついた。朝食前にI先生の回診があった。夕べの夕飯と睡眠の話をしたあと明日帰りたいと切り出したら、「2〜3日は辛いぞ。」と顔に書いてある。「たぶん早まったかなと思うかもしれませんが、身体は着実に回復してるので、辛いのが治まるのも時間の問題だと思ってます。」と答えたら、諦めて退院の許可を下さった。

さて、朝食だ。座薬は3時に入れてるので条件はいい方だ。これが完食できなければ、退院は無い。全粥、茄子の味噌汁、のり、味噌、温泉卵、ふきとあぶらげの煮物だ。味噌汁からすすり始めて卵を粥にまぶした。唾液と混ぜないで飲み込むようにした。少し食べたところで、いつもの痛みが襲ってきた。今日は左の舌根が痛い。しばらく箸を止めて悶絶する。姿勢を正し、交感神経の興奮を高める。少し痛みが和らぐのが分かる。痛みの消退は自分の思いよりゆっくりだ。そのズレが迷いに変わる。ここを理性で落ち着かせる。もう今は、痛み止めの影響は無いのだろう。座薬が効いていようがいまいが唾液腺を刺激すれば痛みは出るし、時間を待てば治るし、その後必ず食事は完食できる。そのパターンを理解して、痛みを逃がしながら食事を完食して行けば、いずれ脳が安心して痛みが減ってくれるだろう。

迷いはあったものの痛みは次第に治ってきたので、味噌汁、具、粥、おかずの順番で一つ一つ平らげていった。のりと味噌を残してとうとう完食出来た。 1時間近く食事にかかるが、何も急いで食べなきゃ行けない訳じゃない。食事に1時間はかかるものだと決めてしまえば何のことはない。食事後痛みを引きずることはなかった。

お昼までなるだけ起きてることにして、朝一でシャワーを浴びてから、コーヒーを買って、飲みながらパソコンに向かった。11時45分。さ、今度は昼食に挑戦だ。

無事完食。!!  これまで培ったノウハウに従って、作法どうりに食事を進めたら、プチトマト以外完食出来た。約1時間近くかかったが、これは少しずつ短縮するだろう。やはり酸味はほんの少しであっても痛みを誘発するようだ。禁止食のほとんどは唾液の分泌を促すものと、舌による攪拌が必要なものなので、 I先生は否定したが、唾液腺の刺激が痛みの中心になることは体験上明らかだと思う。

これでだいぶ食事に対する自信が付いた。私なりのルールは的を射ているようだ。あとは夜間痛。いつもは寝る時間が12時過ぎなので、痛みが襲ってくる時間帯がもっと後ろにずれる可能性がある。今日は少し遅めに寝てみよう。

明日は退院だ

扁桃摘出日記8

  • 2010.03.04 Thursday
  • 09:23
11月25日 術後6日目

昼まで点滴をしながら寝てしまった。おや?胃が痛い。しばらく様子見たら一時治ったかに見えたがまた痛み出した。やばい、痛み止めが使えなくなる。
起きていろいろ考え、先ずはゆっくりと食べられる分だけ食べたところで座薬を入れる事にした。それでも痛いときは胃薬を増やそう。

お昼は待望の蕎麦が出た。はやる気持ちを抑えながら口に運ぶ。最初のうちは飲み込めるのだが、次第に痛みが蓄積していき、とうとう箸が止まってうずくまった。少し治ってから牛乳を飲んだ。冷たさが痛みに変わる。これまで無かったことだ。何とか飲み干してバナナをほおばる。これは何とか入る。ビデオを見ながら少しずつ食べたが半分のところでやはり痛みが蓄積して食べられなくなった。ここでナースコールして座薬をもらって入れた。10分ほどして蕎麦に再挑戦したが、食べきることは出来なかった。

水を飲みながら何が良くなったのかを確認してみた。

のどちんこの腫れが引いて、上の方が楽になった。右上の縫合部分の違和感もかなり減った。嚥下障害がなくなった。飲み込む瞬間の痛みが取れたので、飲み込み自体はあまり痛くなくスムーズになった。

頤下の痛みが出たとき腫れなくなった。誤嚥がなくなってむせることがなくなった。寝てての息苦しさが減ってきた。ベッドを起こし気味なら仰向けになってかろうじて寝れるようになった。声が出しやすくなった。顎の痛みが減って口が空けるようになってきた。つばを吐き出していたのをしなくなった。身体がしゃきとしてきた。

では何が悪いのか?

痛み止めが切れると、扁桃のあったところがズキズキ痛んでくる。食事をすると、その痛みが次第に増して耐えられなくなり食事が取れない。うがいをすると喉の下の方と左扁桃のあったところが染みる。嚥下するときに右舌の縁が鋭くいたい。胃が痛くなることがある。

ではこの頤下の痛みは何なのか?

感じとしては舌下腺から唾液が分泌されるときの痛みのような気がするのだが、、、、、?果たして関係あるのかな?でも、薬が切れたときにうがいすると、傷に染みるような痛みがあるしナー。I先生がおっしゃるには全ては神経の刺激だそうで、しかも自律神経なんだそうだ。だから精神的な影響も受けやすいんだって。

これが、I先生の言う葛藤なんだろう。土曜日まではまだ2日半ある。今日から3日前を思い返せば、今より確実にもっと良くなっているはずだから、余計な心配で治りを妨げるのは止めよう。休んでいられる時間はもうない。頭だけでも使わなきゃ。

メールしてるところに先生が来られて検査結果を頂いた。CRPが18H Hb13,3L
以外異常値はない。それぞれ想定内だそうで、痛みが強いとGTP が上がったりするけどそれもないからかなり身体も痛みも楽なはずだぞと言われた。その後はあれこれと雑談に花が咲いた。先のことが「どうでもいいや」って気になると痛みは減るともおっしゃってた。上手く自分を騙せたらね。今の痛みは突然消えるって言われた。そう願いたい。

その後階段昇降を2回やって風呂に入って鍼灸の本を読んで、、、、疲れた。おかしいなーどこかわるいのかなー?と思ったけど、先生との長話、階段昇降、入浴、お昼の痛み、食事量不足と重なればだるくもなるよな。

夕飯時まで痛みは無かったので、安心して夕食を食べたが、、、、相性の悪い卵とじだった。真っ先に卵とじの中のカニの固まりをぱくりと食べたら耳の下が痛くなりだした。味噌汁に逃げたりお粥に逃げるがダメで、ラフランスのコンポートを滑り込ませた。

痛くても入るものは入る。が、痛みは情け容赦ないところまで強まり、いろんな迷いが襲ってくる。でも、さっきのI先生のアドバイスがやんわりとその迷いを退けてくれる。迷いと戦って勝っているわけではない。先生の言葉が、襲い来る迷いの実態を見せてくれては、大したことはないねと露払いしてくれるような感じだ。

そんな事を繰り返しているうちに、一発目の痛みが治ってきた。食事を続けるか迷いながら、お昼の経験を思い起こす。ここから何とか食べたじゃないか。どこかに食べ物が入りやすい道はあるんじゃないか?

そう思い直して、味噌汁からすすり始めたら、上手く入った。その後具を食べたら染みずに滑り込んだ。「あれ、右の舌で攪拌しなければ痛くはないようだぞ」それからお粥を少しずつ飲み込んでいった。何とか入る。なら卵とじの汁だけでも混ぜてみよう。これも何とかなる。

そうこうしているうちに、「もしかして最初にギューと痛くなったあとはあまり反応しないのかな?」と思うようになり、あまり怖がらずに粥を完食した。

これで気をよくして、卵とじのタマネギだけを食べてみたら上手く入る。グリンピースも入る。でも、汁がたっぷり口に入ると痛みが出てくる。やはり、舌下腺の痛みはあるようだ。甘すぎるのは痛みを誘発するようだ。水で甘さと痛みを薄めながら卵とじも完食した。残るはジャガイモと人参の細切りごま油炒め。芋から少しずつ食べてみた。

先生がおっしゃっていた本当の痛みと、恐怖から来る痛みが共存していることにようやく気がつき始めた。口の中で展開されている様々な痛みや感覚を渾然と捉えるのを止め、一つ一つバラして感じてみることにした。

すると、一番嫌な痛み以外は耐えられる痛みとして認識し直しできた。お陰で、大きな痛みの塊が細かい痛みの集りにばらけた。そして注意すべき痛みにだけ気をつけながら箸を進めたら芋を食い終えた。

最後は人参。真っ先に箸を付けたときは「これだけは食べられないだろうな」と思った人参がどうと云うことなく喉を通り始めた。終いには余裕すら出てきた。悪魔のように見えた人参は何だったのか?これで夕飯完食である。やったー!!

ここで初めて、I先生のカウンセリングが効いていたのだと実感できた。

大丈夫退院できる。ちゃんと痛みは無くなる。

今回の入院での一番の収穫だったかもしれない。

扁桃摘出日記7

  • 2010.02.27 Saturday
  • 18:25
11月25日 術後6日目

朝の食事:座薬は0時半に入れて、4時半まではぐっすり眠れ、その後は喉のアイシングだけで6時まで眠れた。喉は余計なことをしなければ我慢できる程度の痛みだったので、階段昇降をしたり体操したりで朝を過ごしたが、食事はさすがに辛いだろうと思い30分前に半分かじって飲んだ。それでも15分ぐらいで痛みは軽くなったので、気をよくしていたが、いざ食べ始めたら、痛かった。

鶏そぼろの卵とじが甘すぎるのか喉に染みる。頤下がズキズキと痛み出す。お粥にまぶしたら飲み込めるのではないかと思って粥にかけて混ぜ込んだ。ついでに痛みが襲ってくる前に勝負を決めようと一気に流し込んだら撃沈した。

めっちゃ痛くて身動きできなくなった。これじゃあ朝抜きになっちまうナーと思いながら痛みに耐えてた。ようやく治ってきたところで、恐る恐る味噌汁に手を伸した。「これは痛くなく飲めるはずだ」そう言い聞かしてすすったら飲み込めた。「よし」汁だけすすりきってから、恐る恐る具の麩を口に入れた。

飲み込める。

「よし」味噌汁完食。だったら、ブロッコリーは何とかなるはずだ。ゆっくり口に運ぶ。騙しながらなら飲み込める。

さて、残るは全粥と卵とじだ。卵とじをよけて粥のところだけをそろそろと流し込む。同じメニューでも食べ方次第で結果に大きな差がつく。全く食べられないか、時間はかかっても完食できるかの差だ。

物事全てこうなんだろうナー。一気にがーっと男らしく飯をかっ込む。と言った形にこだわってしまうと、結局何にも出来ないが、形にこだわらなければ、何とか完食まで持って行ける。かっこつけなきゃ結果は出せる。

私の頭の中ではすでに退院後の予定ができあがっていて、無理にそれに間に合わせようともがいて首を絞めているのだろう。

兼続が、義だ義だとかっこを主張したのは勝ち戦の時だ。負けが分かればかっこつけの義は封じてもっと大きな枠の実を優先させた。その辺の賢さ、柔軟さが彼の持ち味なのだろう。勝つときはかっこ良く。負けそうなときはこだわりを捨て実を取る。 今は私にとっては負け戦だ。痛手を負って傷を癒している最中だ。だからかっこは付けない方が賢い。実を取る。

さて、ペアトレで学んだことも同じだ。いろいろと障害を持っている子供に結果を出させようとすると、かっこは付けていられない。結果が大事なのだ。結果を出すために何をするかが大事。相手が負け戦の最中ならそうするのが一番だろう。勝ち戦の時は思い切りかっこつけさせてやればいい。

ところで、痛みと気分刺激の関係だが、食事のあとまだ大分痛みが残っている状態で、試だいすきな曲を聞いてみた。どのぐらい痛みが和らぐかを見たかったのだが、好きな曲を聞いた途端に痛みは吹き飛んだ。正確に表現すると、痛みは半減し、残りの痛みがあることの辛さはほとんど関係なくなった。曲の乗りが心地良くて、その程度の痛みなどどうでも良いことになってしまったのだ。こうも違うものかと驚いた。
今度は曲を聴きながら食事してみよう。

扁桃摘出日記6

  • 2010.02.25 Thursday
  • 08:20
11月24日術後5日目 

朝は朝食の前に階段昇降をやって、軽く腕立てもやった。朝食はやはり薬が切れかけていたので完食は出来なかった。インゲンのおひたし(山盛り)はんぺんとサツマイモの煮付け、7分粥、ほうれん草の味噌汁、イチゴ味のジョアだった。芋が食えなかった。しばらく頤下と耳が痛かったが、次第に治った。すぐに入浴して売店に行き不足品を買って点滴を受けた。

そのまま眠ってしまった。布団も掛けなかったので湯冷めした感じだった。でも、以前の私ならこれで風邪を引くのは必定なのだが、扁桃を取ってからは引かなくなると言われているので引かないことにして、吸入に行って座薬を入れた。(昨日の失敗から今日は2座薬作戦で行くことにしたのだ。すでに効き始めたのでこれで昼ご飯は楽に食べれるだろう。

朝の回診の時に、I先生は、どんな手を使ってもイイから痛みや悩みを紛らわすこと。とおっしゃったので、あえて我慢しないでみることにした。恐らく座薬付で退院することになるだろう。

計算通りお昼は楽に完食できた。夕飯前に痛み止めを飲むことを想定して牛乳だけ取っておいた。熱は36.9℃。少しだるいのはそのせいだろう。調子はよいので鍼灸の本を読んだ。(相変わらず居眠りで中断し進まない)おかしいなー。これがなくなるために切ったのに。。。。とは言えまだ術後まともに寝ていないのだから仕方がないか。

隣の人が明日退院になったら、ばんばん電話掛けまくって仕事を始めた。う、、、、私もちと焦る。やはり日中座薬を使うのは正解のようだ。身体がとても楽なので少しでも勉強しようという気が湧いて来る。

今日は午後から痛みが無く調子が良かったので大分勉強できた。5時40分になって急に右の喉がヒリヒリし始めた。どうやら薬が切れてきたらしい。少し前にお腹が空いて取り置いた牛乳と買っておいたカロリーメイトを食べたので、痛み止めを飲んでみようとして失敗。むせてしまい逆に痛みを誘発してしまった。2回目に挑戦するかどうか迷ったが、錠剤をガリガリかみ砕いて飲んだらなんと言うことはなく飲み込めた。なーんだこうすれば良かったんだ。コロンブスの卵だ。

痛み止めが効いて夕飯も大分食べられた。座薬程痛みを止める効果は強くないようだ。メニューは大根とはんぺんとホタテ貝柱の煮付け。7分粥、里芋の味噌汁、青梗菜のおひたし。青リンゴのゼリー、ヨーグルト、と何か飲み物だったような。

せっかく痛みに苛まれているのだから、この際いろいろ実験したらいいね。

扁桃摘出日記5

  • 2010.02.18 Thursday
  • 22:01
11月23日術後4日目 

11時頃から4時までまともに眠ったようだ。仰向けになって口呼吸でいびきをかいていたのだろう。喉中が痛くて目が覚めた。1時間ぐらい我慢してから座薬をもらって入れた。30分休んで痛みが減ったところでうがいをした。楽になってまた一眠りした。

むせて痛くなるのは、口を開けておけば回避できることに気がついた。怖がらずに咳を素直にすればどこも痛くならない。

朝食は七分粥になり、いきなり固形物が出た。ゆでたアスパラ山盛り。豆腐と小松菜の味噌汁。大根とがんもの煮物。頑張って完食してきたお陰かな?朝一で売店に行ってコーヒーと赤いきつねを買ってきたのに、先を越された感じだ。密かに食べるうどんの味は格別だったはずなのに、、、、

アスパラはツルツル喉を通過した。なんだ大丈夫じゃないか。

今日も一番で風呂に入って着替えをして身支度を調えてから点滴を受けた。
が、何となくめまいがする。不整脈も出そうな感じだ。I先生の回診の時にそのことを話したら、まだ気がつくだけイイだろう。僕はモニターして指摘されるけど自覚がないよとおっしゃっていた。この先は、思ったより早く治らないもどかしさに迷いが出る時期だそうだ。そんな中でも、ふと何でもない感じがする瞬間が時々訪れるようになって、それが次第に多くなってくると励まされた。

術後一週間目で血液検査をして炎症反応が先生の想定したところまで収っていれば、点滴を止めて経口剤に変え、退院しても良いことにすると言われた。ありがたい。

さあ、寝てばかりはいられない。
今日はバランスの練習にものすごくゆっくり廊下を歩いてみた。意外とうまくできない。あれこれ試して遊んだら、点滴がずれたらしくて急に腕が痛み出した。慌てて部屋に戻りナースコールした。案の定点滴を止めたらすぐに痛みが止まった。こんなことを腕が腫れるまで我慢してた患者さんたちにはびっくりだ。(玉川病院で見た人達)

おひるまでには座薬の効果が弱まってしまい、お粥とプリンを残した。午後の検温で37度1分の熱があったので、一眠りした。

午後は喉の痛みがあるものの、食事をするには痛いが、何もしなければ耐えられる程度だったので、そのまま我慢してパソコンに向かったりテレビを見て過ごした。

さすがに夕飯はこのままでは食べられないだろうと判断して、薬を飲むことにした。胃の負担を考えてコーヒーゼリーを5時に食べてから薬を飲んだ。その後お腹を減らすために3階のロビーで30分程運動した。

夕飯は鯛の煮付け、お麩の味噌汁、7分粥、マカロニとカニのサラダ、バナナがでた。残念ながら鯛の煮付けは全部食べられなかった。喉の痛みが完全には取れなかったためだ。夕食のあとに水を飲みながら隣の人になにげに気を向けてしまったら、思い切りむせてしまった。ゲホゲホと地獄の咳き込みになった。夕飯をそそくさと済ませたあとでさらに何かくちゃくちゃ食ってるので、「良くもそんなに腹減るナー」なんて思ってしまったのが運の尽きだった。今夜一晩咳き込んで横になれないのではないかという恐怖に脅えながら恐る恐る咳払いを繰り返し、喉の奥に残ったものを吐き出した。それで何とか収ったようなので、念のため夕飯のあとにシロップを飲んで、歯磨きとうがいをした。

今夜は12時の時点で痛みが少なければ、座薬なしで寝てみるつもりだが、果たしてどうだろうか?
10時半頃一度目を覚ましたときは、痛みは大したことなかったが、その後本格的に寝入ったようで、夢でうなされながらゴロゴロしていたようだ。耐えきれずに目を覚ましたのが1時半。その時はすでに扁桃部がズキズキと脈打つ痛みに変わっていた。しばらく起き上がって治るかどうか様子を見たが、一向に軽くならないので意を決して座薬と水枕を頼んだ。「まだ薬が切れるとこんなに痛いんだ」とショックだった。

この晩は期待した程眠れなかった。

扁桃摘出日記4

  • 2010.02.12 Friday
  • 13:24
11月22日 術後3日目

朝は周りの音で目が覚めた。痛みは無い。気持ちが軽くなった。もう治ったみたいだ。散歩をし、朝食も完食した。風呂にも一番で入った。頭痛が少し残っているけど、あとは辛さはない。

お昼になっても痛みは戻ってこないので助かってる。看護婦さんも今度からは座薬にしようねと言ってくれた。今日は良いお天気の日曜だ。これで山を越してくれたのならホントにありがたいのだが、、、正気に戻れたので仕事のことも考えるようになってきた。丸5日間何もしなかったのだから、そろそろ挽回せねば。

お昼過ぎに家族が見舞いに来てくれた。息子に早速揉んでもらい、娘に湿布を貼ってもらった。さらに家内に尻を押してもらったら、案の定左大転子付近がものすごく痛かった。留守中変わったことも無く無事な様子でホッとした。

おしゃべりしたせいか疲れて横になった。起きたら少しずつ痛みが増してきて、つばを飲み込まないでいたら突然むせた。2〜3回むせたら喉の痛みが強まった。これで痛みが起こるメカニズムがはっきりした。今日は夕飯30分前に座薬を入れる事にした。

また横になっているとI先生が回診して下さった。経過順調とのこと。こっそり買い置きしたカップうどんも食べて悪いとは言わないとウインクしてくれた。ただし誰にも見つかるなよだって。山は越したのですかと尋ねたら、このあとは実際の痛みより恐怖心の方が勝ってくるでしょうとおっしゃった。それを伺ってホッとした。

あ!「天地人」だ。見なきゃ

 「米沢市直江兼続マスコットキャラクター」
兼続の最後を見た。お舟との夫婦像を見た。人の一生って何なんだろう。悔いなく生きる。って何なんだろう?あらためて考えさせられた。

人の世において何かをなすことは、男に生まれての本懐なのだろうが、時代と運命によってその役割を果たさせてもらえるかどうかが決まる。「何かをなすためには命をも掛ける気概は誰にも負けぬものを持っているつもりだが、世はそのチャンスを与えてくれない事も多い」私の父親などはそうした一人だろう。生涯を振り返って、今ひとつ時朽ちたる思いでいるのではなかろうか?

ただ、それは社会における役割に限った場合の事で、もう少し違った視点から自分の果たす役割を見つめ直してみると答えは広がる気がする。
 
私にとって父親は、大きな壁であり続けた。しかしそれが今の私を形成してきてくれたことも事実である。父の存在は、残りの半生を生き抜いていく歩哨となってくれている。

困難にぶつかったとき、親父は同じ歳にどうしていただろうかと考えれば、自分の方が100倍楽だと思い頑張って来れた。私の両親はその時々に自分たちの力の全てを使って頑張り、困難を切り抜け生きてきた。それは彼らの誇りだ。 そうやって生きてきてくれたことが私自身の大きな支えになっている。そしてこれからも、、、

親父は今94歳で矍鑠としている。誇り高く生きている。息子として何ともありがたい。人として生まれてきてなすことと言えば、自分の子を産み育て、その子に人生を生き抜いていく力と勇気を与えることこそ最高の仕事と言って何ら差し支えない。

私は両親に信じる道を誇り高く生き抜いてもらったことが何よりもありがたい。私と親との世代が離れすぎていたことが、価値観の大きなズレを生み、同じ価値観の中で親子としての楽しみを共有できなかったことは残念ではあるが、これも世の中の変化の早さ故と諦めるしかない。
 
今人生の半ばで、母親からもらい、身体の重しになっていた扁桃腺を切った。もしかするとこれも乳離れの儀式の一つになるかもしれぬ。人は人生において何度か生まれ変わる。これで何度目だろう?

自分自身を振り返ってみると、何をなそうとしているかはそれなりに分かっている。いずれ形にして子供達にも見せてやれるだろう。失敗もある。間違いもある。でも、私なりの狙いは外してはいない。そして、その時々において私も精一杯の努力はしてきた。社会的には低い評価かもしれないが、私なりに頑張った。それを子供達に見せ続けていくことと、「人生は面白いぞ」。と言うメッセージを残してやることは私にできる大事な仕事だろうと思う。

自分の命にも代えて守り育てたい子供にしてやれる最大のことが出来ればそれで本望だし、悔いはない。両親が私に見せてくれた生き様を私も子供に伝えられれば人生の目的は果たせるだろう。

いま、病院のベッド上にて、両親に感謝しつつ。

扁桃摘出日記3

  • 2010.02.06 Saturday
  • 12:49
11月20日手術翌日

朝飯が出た。 意地で食べた。
その後大部屋に移された。術後37.3℃だったのが、38℃にあがり、抗生剤が点滴された。

この晩は真横に寝ないと息が詰まるので、肩と腰骨が痛くて2時間おきの寝返りで何とかしのいだ。部屋は暑く、寝心地も悪く大変だったが、夜点滴が抜かれた分楽になった。あれ?もういいの?。

21日

顎の下が腫れて痛みも強まり、熱も上がって辛かった。左の喉がヒリヒリして、もしやインフルエンザにかかったのでは?と不安になった。そんなところにI先生がいらした。

不安を訴えると、喉の腫れも熱も痛みも全て予定通りだそうで、「一番辛いのはこれからですよ」と言われた。「今のうちに風呂に入って、辛かったら多めに痛み止めも座薬も使っていいですよ」と言われ安心した。

今後は痛みと辛さと焦りで、かなり精神的に参るそうで、「こんな所いるより家に帰った方がましかも」と思ったり、「かといってこの痛みを家で耐えられるか」と不安になったり、の行ったり来たりになるそうだ。そこまで心理的な葛藤を予告されるとかえって腹が据わって気持ちが軽くなった。

早速お風呂に入ってから点滴をしてもらった。お昼を食べたらなるほど左の喉の下に持続的な痛みが出てきた。冷やしても変わらず、そのうち左の耳にまで広がって飲み込みが極端に辛くなった。1時間半ぐらい我慢してから痛み止めを飲んだら、1時間して痛みは無くなった。

売店でチョコアイスを買って食べた。でもお腹が張って食欲はない。何とかして出さなきゃ。

その後運動がてら1階まで降りて、ゆっくり階段を昇ってきた。途中3階のトイレで頑張ったらちょっぴり通じがついたついた。上出来!!

しかし喉の痛みは薬を飲んでから4時間ぐらいで戻ってきてしまい、夕飯前にはつばを飲み込むのがかなりしんどくなった。結局夕飯はかぼちゃのポタージュしか食べられなかった。

痛み止めが4時間しか効かないとなると、消灯時間の9時に飲んだら、1時で目が覚めてあとは眠れなくなってしまう。そこで、12時頃まで寝るのを遅らせて薬を飲むことにした。が、これが地獄の始まりだった。

食事をした際に食べかすが扁桃を取った跡に残ってしまう。それが徐々に上に上がってきて咳を誘発する。痛くて飲み込めないでいるつばごとむせて咳き込んでしまう。その際喉も耳もものすごく痛い。しかも痛みが尾を引く。その痛みが収りきらないうちに、またむせるのを繰り返して横になれない。起きてるのも辛い。身の置き場がない。

必死に咳き込みたくなるのをなだめて横になっても、また突発的にむせてしまい元の辛さに戻る。

ベッドを起こして寄りかかってみたりもしたが、解決にはならない。そんな葛藤を数時間繰り返しただろうか?判断力も鈍り始めた中で解決策を三つ考えた。1:座薬を入れて飲み込みを治し、咳払いをしてむせるのを止める。2:喉の奥の吸引をしてもらう。3:咳止めをもらう。

喉が痛くて声が出せない状態で、これを看護婦に伝えるのも至難の業だ。結局座薬と氷をもらうことにして、ナースに要件を書いたメモを渡したら即座に対応してくれた。

座薬の効果はてきめんだった.30分ぐらいで痛みは治り、1時間ぐらいで何事も無かったかのように他の痛みまでスッキリなくなった。お陰で飲み込みも楽に出来て喉の奥に残っていたものもきれいに取り去れた。

ようやくベッドを平にして安眠できた。

扁桃摘出日記 2

  • 2010.01.30 Saturday
  • 21:32
と、突然「加藤さん分かりますか!」そう声をかけられ、左肩を強く叩かれた。目を開けると麻酔科医が私を覗き込んでいる。クリヤーな映像だ。

「あ、こんなにはっきり目が覚めるんだ。」と思いながら、うなずいた。喉に何か入ってる。咳払いしたい感じだ。「ちょっと待ってね。これ抜くからね」そう言って抜管してくれた。咳払いして気管支のところにひっかっかったものが取れた。私の扁桃腺は長年慢性的な炎症を繰り返してきたので、周囲の組織に癒着していて剥がすのに2時間半ぐらいかかったそうだ。
でも、本人にとっては一瞬だった。

回復室に戻り、家内が声をかけてくれた。夜には子供達も見舞いにやって来た。息子が背中をさすってくれた。家族の前で杏仁豆腐とプリンを食べてみせた。この頃はまだ麻酔が効いていたので痛みは無かった。

手術直後の晩は、横寝でしか眠れないことが分かった。喉ちんこが腫れ上がっていて、仰向けになると息が出来ないのだ。でも、横に寝ると下になった肩と腰骨が痛い。仕方ないので2時間おきに寝返りを繰り返した。

夜中に、おしっこをしようと溲瓶を使ったが出なかった。ふらついて倒れるといけないと、若い看護婦さんが傍で見ていてくれる。、、、これじゃあとても出せない。このまま尿閉になると怖いので、看護婦さんに頼んでトイレに行かせてもらった、が出ない。だって、看護婦さんが見てるんだもの。精神的なものだとは分かっていた。安全のために傍で様子を伺っているのは職務上必要な事だと理解できた。

でも、人前で小便が出来る程羞恥心が無くなる年ではない。しまいには、出なければ導尿しましょうかとプレッシャーをかけられてしまった。仕方がないので、看護婦さんがナースコールで看護室を出たタイミングを見計らって、溲瓶で再挑戦した。いろんなイメージを駆使してリラックスを図ったら、何とか出すことが出来てホッとした。

麻酔が切れてきたようなので、痛み止めも飲むことにした。看護婦さんが持ってきてくれたのを飲んだが、何処に入ったか心許ない。いずれ溶けるからと言われ諦めた。朝までに2回溲瓶を使った。


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